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大 連 概 要
 

面  積 :1万2574平方キロメートル
地理位置 :遼東半島の最南端に位置し、東に黄海、西に渤海、南に海を隔てて山東半島を望む。
人  口 :589万4000人(2001年末の統計データ)
民  族 :漢族、満族、回族と朝鮮族など
市  花 :月季 中国の最も古い沿海都市の一つである大連市は、歴史が1万7000年前の旧石器時代にまでさかのぼることができる。
1899年、大連湾の南部にある大連港及び町の設計図を採択して、現地でDalny(意味は遥かな都市)と名付けた町をつくりだした。
日露戦争が終った後の1905年、日軍の遼東守備司令は「Dalny」を「大連」に変えた。  
100年前、極東にある大連で「東方のパリ」をつくりだすため、帝政ロシアからのフランス文明に耽るエンジニアはパリの設計図を持って大連に着いた。
そこで生まれた数々の広場は大連の特色となった。
大連では、四方八方の道路をアクセスして、面積がさほど大きくない空き地でも「広場」と呼ばれている。市内の広場は80余りあり、初めて大連に来た人は方向が見分けられなくなってしまう。そこで「広場文化」も生まれてきた。緑地、ハト、彫塑と噴水から成る美しい景色や、全国唯一の女性騎馬巡査チームは有名である。  
大連市内の緑化率は41%。シンガポールのように、「花園の中の都市」と呼ばれている。2001年、大連市は「環境が優れた都市のトップ500」に名を連ねた。  面積もさほど大きくなく、人口もさほど多くはないが、日光、海、砂浜、そして美しい女性たちが魅力的な大連は、中国で最もロマンチックで麗しい都市だ。

大連の歴史  
6000年前  大連人の先祖である粛慎族が巨石文化を形成
3000年前  青銅器時代を迎える
2300年前  漢族が大連地域に移動
西暦640年  唐時代初期と中期はそれぞれ「三山浦」と「青泥浦」と呼 ばれる      
17 - 19世紀 明、清時代以来、「青泥窪」と呼ばれる
1894年   中日甲午戦争以降、日本軍が遼東半島を占領
1895年   清政権は巨額な白銀で遼寧半島を買戻した
1898年   帝政ロシアは大連湾、旅順口を強引に租借
1899年   ツアーのニコライ二世は大連港を建設し、また現地で都市 設立することを決定
1903年   日露戦争
1905年   帝政ロシアは遼東半島の租借権を日本に譲渡
1945年   日軍が降服。旧 ・ A 軍が大連と旅順に進駐。大連市政府が成立
1950年   旅順と大連は「旅大市」と統称
1955年   旧 ・ A 軍が撤退
1981年   大連市と改称
1984年   第1回で批准された沿海開放都市の一つとなる
1985年   国の批准によって「計画単列都市」(国より大幅な独自権限が認められる都市)に昇格
1994年   地方クラスの都市から副省クラスに格上げ
1999年   市制 100 周年

<大連の地理
大連市はアジア大陸の東海岸に位置し、中国東北遼東半島の最南端にあり、東経120度58分から123度31分、北緯38度43分から40度10分に跨り、東は黄海、西は渤海、南は山東半島と海を隔てて向かい合い、北は広大な東北平野に隣り合っている。
大連は東北、華北、華東地域が世界各地と繋がる海上の門口であり、最も重要な港、貿易、工業、観光都市である。
大連市の総面積は12,574平方キロであり、うち旧市街区の面積は2,415平方キロである。
山地や丘陵が多く、平野や低地が少なく、地形は北から南へ傾き、北は広く、南は狭くなっている。地勢は中央から南東と北西部にある黄海と渤海へ傾き、黄海への斜面は長く緩やかである。
長白山のある千山山脈は旧市街区を貫いており、地形の殆どは山地や緩やかな低い丘陵であり、平野と低地は河川の水が海へ流れ込むところ及び山裾の谷地に点在するだけで、至るところでカルスト地形が目に付き、カルスト地形と海食地形が比較的に多い。

<大連の気候

大連市は北半球の温暖地帯―ユーラシア大陸の東海岸にあり、気候は海洋性の特徴も兼ね備える暖温帯大陸性モンスーン気候に属し、冬は厳寒ではなく、夏は酷暑でもなく、四季がはっきりしている。年間平均気温は10.5℃、年間降水量は550~950mm、日照時間は2500~2800時間である。
<大連の行政区>
大連市は3つの県クラスの市(瓦房店市、普蘭店市、庄河市)、1つの県(長海県)と6つの区(中山区、西崗区、沙河口区、甘井子区、旅順口区、金州区)がある。
また、経済発展の牽引役を果している国家級対外開放区が4つ(開発区、保税区、ハイテクパーク、金石灘国家観光リゾート区)ある。






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